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わたしの代わりに空が泣く。

有益な情報は含んでおりません。

ほろり

幸せなことはすぐ終わってしまうって思うのに

つらいことは永遠に続くのではないかと思ってしまう。よくないことだ、と自分に言い聞かせる。

 

先日、Kさんが「野菜果物をベーコンで巻いたやつが食べたい」と言うので作ってみた。

ベーコンで巻くものと言ったらアスパラくらいしか思い浮かばないのだが。

以前、アメトークの福岡屋台芸人で紹介されていた屋台で、オシャレなベーコン巻きが出ていたのを思い出した。それをリクエストしたらしい。

なんとブドウまでもベーコンで巻いていたのである。未知の世界。

 

小ねぎとチーズをベーコンで巻いたり、あとはミニトマトやエノキやアスパラ、そしてアメリカ産のブドウをベーコンで巻いて焼いた。

味付けは塩コショウのみ。

 

塩は、キリヤ君が前にくれたフランスの高級お塩を使った。粗くて、とても良い。

 

あと、ベーコン巻きの他にイワシの煮付けをくつくつと煮込んだ。

 

Kさんとご飯を食べていると何だかしあわせだなぁと思う。しかしKさんがどう思っているかなんて、私は分からない。

数ヶ月したらもう会えなくなっていることだってある。

未来なんて、何も分からない。

 

 

 

仕事中、しあわせな朝ごはんのことを思い出していた。

 

炊きたてのゆめぴりか。

味が安定しない私のお味噌汁。

Kさんの不思議な特製目玉焼き。

大きな梅干し。

納豆。

あれば、ヨーグルト。

あれば、季節のフルーツ。

 

テレビを見る横顔。

私には分からないストーリー。

小さな部屋。

 

それは永遠なんかじゃないんだって思えて哀しい。

誰かが簡単に手に入れられることが、私にはとても難しくて、

簡単に幸せにはなれないことを、最近とても痛いくらいに思う。

 

そんなことを思っていたらデスクで涙がぽたっと流れて、

すぐに赤い疲れ目の目薬をさしてごまかした。

 

幸せなことを探しに行くことの難しさを

年々深く感じている。

 

今月初めのこと。

 

慕っていたマネージャー(36)が遠くに行くことが決まった。

 

変な人だった。

話す相手には「てめぇ」っていう癖に、自分のことは「○○さんはさ、」と言う人だった。

 

とてもとても、賢い人だった。

老舗のマンモス企業の出世コースではちょっと考えられないくらいの早さ(20代)でマネージャーになった。異例だ。本当に本をよく読む人で、その知識の吸収率も凄かった。

 

私が初めて彼の下で働くことになったのは去年の春で、あまりにも仕事の振り方が無茶振りすぎて始めは困った。

元々、仕事の無茶振りや、部下へのあたりがキツいことで有名な人だった。噂しか聞いたことがなかったから実際どうなんだろうと思っていたけど、実際下についてみて、やっぱり無茶多いなぁと思うことが多かった。実際、最初は私が先に限界を迎え、部長に泣きつく始末だった。

 

でも私は彼のことが上司としてとても好きだった。尊敬していた。自分はあんな風には絶対なれない。努力がどうこうではない。人間の根本のはなし。

 

出来損ないの私のことを認めてくれた。

『お前はちゃんと出来ると思ってる。その力があると思う。もっと自分の力を信じなさい。』

 

彼は優しかった。無茶苦茶やっているように見えて、実際は人の表情を見て全てを察知することができる人だった。そして彼は男性には厳しく、女性には優しかった。

私がいつも話しかけると、少し臆病になったような顔付きをしていた。いつも、何だか申し訳なかった。

 

カラオケに行くと少年?子ども?のようにはしゃいで、マイクを持って踊っていた。スピードのWhite loveやSuperflyのBeautifulを高音で歌い「やっぱ無理だわー」と笑って言っていた。

マイケルジャクソンの「ぽう!」を連呼するときもあるらしいと噂で聞いて、笑った。

 

そういえば前に彼が出社するやいなや

「あっ!俺今日さー、浅瀬の結婚式でスピーチする夢見たんだよなー。」と大きな声で言っていて、島の人たちにまる聞こえで恥ずかしかった。でも私はそれがいつか正夢になったらいいのになぁと思ったのだった。

 

 

彼は遠くに行ってしまうのに、彼はそのことを私には何も言わなかった。何も言わずに行ってしまった。

私は正直、バカヤロウと思ったし文句を言いたかった。せめて「俺このプロジェクト抜けるんだ」と自分で言って欲しかった。でもメールは打てなかった。

 

サラリーマンであるというのはこういうことなんだなとふと思い出したりする。逆らえない指令、定期的に行われる異動、静かに行われる左遷。

今回の場合、彼の上からとんでもない力が働いて、彼の能力を買っているお偉い方々が遠くに呼びつけてこうなったらしい。

 

彼と一緒に仕事が出来て良かった。

彼が心の底から仕事を楽しんでいるのを横で見られて良かった。

そう思ってまた次に進むのだ。

 

今度会えたらいつか

「私はあなたと一緒に仕事ができて嬉しかったです。私はとてもとても、淋しいです」

と言ってやろうじゃないか。

 

音楽と記憶。

 

嬉しいときには新しい音楽を聴きたい。

嬉しい感情だった事実と、音楽が紐付くから。

そのあと条件反射みたいに、その音楽を聴いたら嬉しいことを思い出せそうだから。

私にとってそれはcapsuleであったりMr.Childrenの『World's end』であったりしていた。ほんの一例。

でも今はそれを聴くことも少なくなってきた。。そこにあった嬉しさがもう戻らないことを知ってるから。

だから新しい曲を聴き続ける。好きな曲に出会って新しい音楽に包まれる幸福な瞬間。たまらなく好き。生きていて良かったと心底思う瞬間。NO MUSIC NO LIFEなんて言いたくないけど、音楽があって良かった。そう思う。

 

逆に哀しいときは新しい音楽は聴かない。最近はそうしている気がする。それが無理な時もある。同調したい曲を選んでしまう時もある。

 

一昨年の夏は何故かRADWIMPSの『ものもらい』をひたすら聴いていた気がする。アルバムにしかないマイナーな曲だ。夏の夜、窓を開けて、かなしいなぁと思いながら聴いていた。

あとは懐かしいなぁと思いながら、Coccoもたくさん聴いたりしてた。今はもう聴いてない。

 

今、ワンオクの新しいアルバムがとても聴きたい。けれど今は哀しいことが待っている気がして聴けない。明るい未来を想像したら、それが現実になるっていうけど、その力を信じられないくらいの哀しいことが起こりそうな気がしていて聴けない。期待させておいてどん底に突き落とされることほど哀しいことはない。今は聴かないでおこうって思う。少し元気が出てきたら聞こう。

 

未来を選べる立場であることを幸福に思う。もうギリギリなのかもしれないけれど。

 

早くワンオクの新曲が聴きたい。

早くあったかくならないかな。早く春が来ないかな。

 

今はずっとRADの『なんでもないや』を聴いている。野田君の声を聴くととても安心する。せつないようであたたかい曲。

半年くらいずっと聴き続けている。飽きない。

なんて幸せなことだろう。

 

amazonから『ラリルレ論/野田洋次郎』が届いて、少しずつ読んでいる。

読み終わるのが、少し、怖い。

 

 

 

名前をつけずに自動保存。

 

2回目で早速恋愛に絡むことを書くのは、何だか自分としても少し不本意な感じもするのだが、書きたいタイミングで書いていくしかない。

 

恋愛に関して、『男は「名前を付けて保存」、女は「上書き保存」である』とはよく言われることで。初めてその格言めいたものを聞いたものは「ほうほう、なるほど確かに」と思った記憶がある。男性は一度愛した女は忘れない。女は過去の男は忘れる。

けれど私にはそれは当てはまらないように思う。それが時々、むしょうに悔しくなる。

 

色んなことをよく覚えている性質だと思う。そういう自分を知っているし、良かったなとも思うし、心底嫌だなと思うときもある。勝手に覚えているというのもあるし、大切なことは覚えておきたい、と強く思う性格だと思う。忘れちまえよそんな事、と思うときもたくさんあるし、自ら思い出の蓋を開けてしまうこともある。大抵、後悔する。私だけ、どうしてこんなに憶えているのだろう、と。どうして私だけ、こんなに淋しいのだろう。と。

 

食べ物を残すときにいつも思い出すことがある。

 

私は食べ物を食べるとき、特に、実家で飲むお味噌汁や、外で飲むペットボトルの飲み物に多いのだけれど、少しだけ残してしまうクセがある。常にそうである訳ではないのに。何なんだろうあれは。

実家ではいつも「こんなちょっと残してどうするの!食べなさい!」と母に怒られるのだが、その最後の一口がどうも進まない。結局、残してしまう。

最近ではそれが家族にバレているため、実家に帰ると「はるのお味噌汁は少な目でいいよ・・・絶対残すから。」となる。あ、はい。ごめんなさい。

そうすると、なんとか意地で食べる。何なんだろうこれは。

 

そういう感じで、遠い昔、ペットボトルに残った少量のビタミンウォーターを、「これ飲む?」と当時付き合っていた彼に聞いたところ(これは単に相手が喉が渇いているかな?と思ってなんとなく聞いてみただけなのだけれど)、「はるは優しいねぇ。いつもはるは飲み物を少しだけ残してるよね。本当にやさしいねー。」とニコニコ言うのだった。何の疑いもせず、私の単なる変なクセとも知らず、100%の純度で私のことを良いコだと思ってくれていた。あのキラキラした笑顔を私は忘れられない。

それとは逆に、また別の人とお付き合いしていた時には、「はるはいつも少しだけ残すクセがあるよね…(否定的)」と言われた記憶があるのも確かだ。

 

それと少し似ているけれど、前者の彼は「はるちゃんの外見の良さが100%だとしたら、性格は120%だよ!」とも言ってくれたのにも関わらず、後者の彼は「はるは外見は良いのに性格が悪いよね。」と言われた過去もあった。外見もよくないけど。

ああ、なんということだろう…

そういうとき、性格が合う、合わないってこんなにも顕著に現れるものなのか!と痛いほど感じた。私はこの二人のどちらのことも、とてもよく覚えている。

その話は追い追い…しなくていいか。

 

他にも忘れられない人はいるし、それは勝手に脳が名前もつけずに律儀に自動保存・アーカイブしていったもの。思い出は美化されるというけれど、それは違う気がする。美化なのではなく、美しいものだけが厳選される。人間としてこれからも健やかに生きていくために、綺麗な思い出だけ残して、自分を死に追いやるような苦い記憶は記憶の片隅に追いやられ、結果的にクリーンアップされる。つまりそれが、「思い出が美化される」ということなんだなと思う。

(と思いつつ、「性格が悪いね」と強烈な一言を放った彼とのことを覚えている私は一体?忘れていれば良かった☆(てへぺろの顔))

何度恋をしても、私は上書き保存にはならない。常にすべてを自動保存だ。

 

エピソードを付け加えると、

食べ残しで思い出す件については、割と最近のことなのだけれど

私のとても大切な高校からの友人・キリヤ君(♀)とゴハンを食べていたとき

私が「私さ…なんでなのかよく分かんないけど、ごはんとか飲み物を少しだけ残してしまうクセがあってさ…」となんとなく打ち明けた時、キリヤ君が

「え!!!!私もだよ!!!!!なんだろこれ、動物の本能的な何かかな!?」って返ってきてめちゃめちゃびっくりした。私の他にもそんな人いたのか。というか、他にももっといる可能性もでてきた。けれど、私はそれよりも昔から本能的に大好きだったキリヤ君とこんな点が同じなことに驚きと嬉しさが溢れた。

 

友人にも、合う・合わないってあるのねぇ。

(もはやタイトルとは全く関係のないオチ)

 

 

ブログ開設。私と日記の関係性について。

 

2017年。新しい1年の幕開けに伴い、新しくブログを開始してみることにした。

今までは自分の外部記憶として写真日記のようなものをレンタルし非公開として続けていたのだが、今年は鍵のない全体公開のブログを書いてみたいと思ったのだ。

 

そのきっかけの一つになったブログがある。

 

ジャニヲタ界に君臨する女神、『あやや』さんが書く「それは恋とか愛とかの類ではなくて」である。

moarh.hatenablog.jp

 

ブログタイトルからして、私のドストライクをつくこのブログ。

 

ちなみに私はジャニヲタではなく、ジャニーズについての知識は一般程度の人間であり、私はあややさんのブログをジャニヲタの一人として読んでいる訳ではない。

(むしろジャニヲタだったら更にあややさんの記事が好きだっただろうと、自分を少し残念に思う)

 

そのため、このブログに出会ったきっかけもジャニーズ関連ではなく、RADWIMPSのボーカルである野田洋次郎のエッセイ『ラリルレ論』が発売された際に、「ラリルレ論」のレビューを書いている人はいないだろうか?とぐぐってみた時だった。

その時、検索結果のかなり上位にこの、あややさんの書く「それは恋とか愛とかの類ではなくて」のブログに書かれていた記事【本「ラリルレ論」野田洋次郎】に出会った。

 

moarh.hatenablog.jp

 

その記事がまた秀逸だった。一瞬で文章に惹きこまれた。惰性で読む箇所など一切無かった。私には。

 

それはラリルレ論のレビューは記事の一部であり、あややさんとRADWIMPSとの人生の関わりについてまとめられていたものだった。

あややさんがジャニヲタを休止していた際にどのようにしてRADに出会い、どこに惹かれたのか。そしてラリルレ論。そしてRADWIMPSの聴きなおし。

分かる。分かる。RAWIMPSとの出会いの衝撃、それから過去を取り戻すかのように貪り聴くような日々。私もそんな感じだった、と思わずあややさんに握手しに行きたくなった。

 

生きている時、とてももどかしい時がある。

感情を言葉としてアウトプットできない時だ。

あややさんのその記事は、それを瞬時に解決してくれるような文章だった。

私もいつか、あややさんのような文章を書きたい。

それは、文体そのものなくて、感情や事実をフィルター無しに書けるような、そんな文章である。

それは私にとって、小説や詩ではなく、やはり日記だと思った。

 

思えば私にとって今までの人生の中で、日記という存在はとても重要な要素だった。

記憶を辿っていくと、小学生の頃からずっと日記に触れ続けていたように思う。

 

小学生低学年の頃は、担任だった女性の先生が大好きで、高学年になる際に先生と別れるのが淋しくて、日記に今までの先生との思い出や、これから先生なしにどうやって学校で生きていけばいいのだろう…と言った淋しい感情を6ページくらいに渡り書き連ねた記憶がある。号泣しながら書いて日記が汚れていた。今考えると気持ち悪いな。

高学年のときも連絡帳に絵と文章を書いた。

 

中学生になってからは、連絡帳に短い日記を書いた。

先生(男性)からの返事はいつも簡素であっけなかったが、保護者面談にて母が先生から「はるさんが連絡帳に書く日記がとても独特で、いつも楽しみです」と言われたと言っていた。

(そのせいか、母が私の日記をこそこそ隠し読んでいたのを知っていたし、それについては嫌悪感でたまらなかった。)

 

高校生になり、インターネットの深みに拍車がかかり、WEB日記を書いていた。

ここがアナログとデジタルの転換期である。

当時私がWEB上のチャット(当時はチャットが流行っていた。多分。)で知り合った、会ったこともない、少し年上の女の子が書く文章がとても好きで、

それを真似てみたかったのだろうか。簡単なHPを作成し、BBS(死語)と日記だけを設置し、高校生として感じていた、哲学めいたもの(たぶん今読んだらしにたくなるかもしれない)を書いていたように思う。もうこの世から抹消されているのだろう。見れるものなら見てみたい。あの頃の自分の心とやらを。

 

大学生になると日記中毒に更に拍車がかかり(どこまでいくんだ)、WEB日記のレンタル数は多い時に4,5個あったように思う。

それぞれのブログで自分のキャラクターを使い分けて”演じて"いたのではなく、

「これは日々の記録」「これはあの人に見てもらいたい日記」「これは恋愛のことだけ書く日記」など、用途で分けていた。

用途と言いつつ、その数の自分が存在していたのだとも思う。

狂ったように毎日毎日、とにかく日記を書いていた。大学生という、怠惰で最高で、けれど何気に忙しい毎日の中で感じる、最高に生意気な日常と、子どもと大人の葛藤についての感情を書きなぐった。

「あんなことが起こった」という事実ではなく、「こんなことを思った。」それが9割だったと思う。

今思うと病気に近かった。完全なる依存だった。大学から帰宅するとすぐにパソコンを起動し、すべての感情をそこにぶつけた。

もうその日記は稼働していないが、その時の感情を残しておきたくて、htmlファイルとして保存している。近いうちに読み返してみよう。恥ずかしさできっと心がしぬ。

 

社会人になると、日記中毒の病気は落ち着き始め、ほぼ「写真日記」もしくは前述した「恋愛のことだけ書く日記」の2つになった。どちらもレンタルWEB日記である。

後者である「恋愛のことだけ書く日記」は私にとって特別な存在だった。

 

その訳は、その日記が、今から10年以上前に親友から誕生日プレゼントとして贈られたものだったからである。親友がレンタルしていた日記のIDとパスワードをもらったのだ。

親友はその場所で日記を書いており、私はその日記を飲むのが好きだった。彼女には文才があり、ネット上でも人気の日記だった。

 

あの当時にWEB日記をプレゼントとして贈るなんて、なんて粋なことすんだよ、私の親友よ。愛しているよ。

 

この歳になり、恋愛のことについて書けることが少なくなったため、その日記はほぼ稼働していないのだが、私にとってはとても大切な日記である。今は一年に一、二度のペースの更新かもしれないが、なくなったら非常に困る。

運営さんにはどうか頑張ってほしい。

 

きっと全てを読み返すと、大学生の頃の弱い私や、それからも結局ずっと根本が変わらない弱い私であることを再確認して、また死にたい気持ちになるのだろうが、それを知るのもまた人生。

 

そんな感じで、今年はここで、私のために、私の書きたいテーマについて書くという果てしない自己満ブログを書いていこう思う。

一発目からこんな長文でいいんか。